主人公補正について

今日も今日とて日記ー。

世界樹はようやく三階に突入。
怪しげなゴーレムの仕掛けを動かしつつ進行中。
最初こそイノシシになぶり殺しにされかけたけどレベルが二、三上がるとだいぶ安定してきた。
まだ半分もマップを埋めてないところだけど今のところ事故りそうな相手もいないし、しばらくは楽して進めそう。
すれ違い通信でレベル30代後半を見かけてビビる。
このまま日本一遅い世界樹攻略を目指そうかな。

夏ガチャ後半戦は一勝一分け実質負け。
一勝のほうも今までため込んだ石の大半をぶっこんだ割にはちょっとな出来だったので無念。
フ、フレが使ってるのを見るだけで満足だし!

というわけで本題?
というかタイトルの「主人公補正」について。
ふと気になって、ある程度考えをまとめてから、ちょっと参考資料を探してリンクでも張ろうかなー、と軽く検索してみたら書きたかったことが大体そのまま書いてある大百科があって愕然。

俺の思考を読み取った上に先出されてるだと!?。

みたいなエスパーな展開なわけはないので考えることは大体同じという結論。
むしろ記憶にないけどもしかしたら考え方自体昔そこで読んだものの受け売りだったりするんだろうか。
あいにくリンクを張っていいものかどうかわからなかったのでその内容について気になる方は 主人公補正 大百科 とかで検索すれば上のほうにそのページが出ると思います。

そんなこんなでガックシはしたもののまあそれなら別の方向できりもみ回転していっちゃえばいいじゃない。
ということで改めて主人公補正について。
ざっくりまとめると主人公が物語を円滑に進めるために何かと優遇される処置の総称。
戦場に出ても銃弾がやたら外れる、くじを買うと大体当たる、冒険に出ると行く先々で道が塞がれているがすべて自分たちのいる側から何とかできるとかもその一部か。
肝心なところで負けない、死なないとかに代表されるようにすべてはぶっちゃけ物語を成立させるためにそうなっているわけだ。
その視点で考えてみると主人公だから変な補正がかかっているというよりかはその場にいた何かと運がいい男だからこそ物語が生まれたと考えるのが正しいかと。
主人公だから何をしても死なないというよりかは何をしても死ななかったから主人公に選ばれたという考え方。
とかそういう理屈をあれこれこねくり回していたらネット上に全く同じ結論が書いてあったのでここから脱線。

先の例の通り主人公とは物語における中心人物、というわけで作り手側の視点から言ってしまうと、
こいつは主人公なので何しても死なないし、何をしてもイベントになるし、意味もなく周りから好かれるし、すげえ才能を持ってるし。
とやりたい放題でもまあ成立はする。
ただそこで立ちふさがってくるのがリアリティというやつ。
ことフィクションというかSFに近い作品ですら出てくる人間の常識感覚が結構厄介。
一発は外れても違和感のない銃弾が、二発、三発、いっぱいとなってくると「さすがにそれはないわ」となってくる。
これに関しては確率で考えてもあり得ない数字になるのかもしれないが、物語の展開上でご都合主義みたいな感覚を味わうことは時折ある。
アクション映画とかで特に理由もなく行ってみた先に敵の基地があって偶然裏道を発見してなぜか見回りがいなくて侵入できた。
と展開されると、やりたい放題だなーという感じになる。
それも物語として考えると、ここで足止めされてもあんまり話盛り上がらないし、時間を割きたくないしという事情があったりする。
同じように毎日のように事件に出くわす名探偵とかもいるがそれもリアリティを考えれば話の九割は日常を描いてたまに起こる事件くらいの分量にするのがバランスがいいが、たぶん面白くない。
そうした時に大切なのが物語というのは一つの場面を切り取られて作られたものという考え方。
銃弾が当たらない男には同じような世界にいる大量の当たっちゃった男の屍を踏み台に存在している。
確率的には何億分の一だろうがその確率でも通っちゃった場面があり、そこを物語として切り取ってきた。
この考え方で行くとどれほど低い確率だろうと話は成立する。

しかしいろいろ考えてみると、結局は銃弾が即命中して病院送りになりましたっていう主人公より命中しない補正付き主人公のほうが盛り上がるって理屈なんだろう。
それはねえよとか思いつつも楽しめるのが映画とかのいいところだし。
そう思うと主人公補正というものも突っ込みを入れて楽しむというたぐいのスパイスの一種として投入されていたりするものなんだろうか

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