「雑記」カテゴリーアーカイブ

著作権と商標権について

前々からやろうと思っていたSEO対策というのをしてみた。
例によって詳しい中身は触れないがあちこち登録したり、更新したりと大慌て。
その甲斐あってというのもおこがましい話だがとりあえず本の内容も一通りこなして、めでたく記事書きに集中できる環境となった、はず。

これからいろんなことに触れたり考えたりしたいわけだが、そのときに気になるのが著作権の話。
人様のサイトに飾ってある絵を無断で持ってくるのは当然アウトだと思うが、よくあるフリー素材でもサイトに載せるのはどうなんだろう。
利用規約に細かくここまでオーケーと書かれていれば別なんだろうけどと気になったのでいろいろ調べてみた。
本当は引用って形でいろいろリンクを張るべきなんだろうけどそこについても現状不明瞭なので省く。

著作権
画像やら文章、映像すべてを保護している大本。
なので基本的に人が作ったものに関しては無断利用は禁止されている。自身で用意することができないなどどうしても使いたい場合は作者本人に許可を取るか、フリー素材を探してきて、そこの利用条件にしたがって使う必要がある。

商標権
記事上で商品名等を出して使うのはこっちらしい。
主に商売上などで類似品を防ぐための権利だが、ネット上で扱う際に気をつけるのは『その商品のイメージについて損害を与えないか』についてらしい。

商標権については結構どう扱っていいものか困っていたのだが、調べてみた範囲ではどうやら企業名とか名前を出してあれこれ書くくらいは許されているようだ。
もちろんひたすら悪く書いてイメージを下げるとか、別の商売に利用するとか悪意がある場合は別途問題が発生するようだが、個人ブログで使用する程度は問題なさそう。

リンクに関しては特に規定は無いものの、参考程度でも張るべき、いたずらに張るべきじゃない、許可とれ、等まぎれていて判別に困るところ。
ともあれ、大雑把にまとめると人が作ったものは基本無断利用不可、名前に関しては常識的な範囲で使っても良い、というところだろうか。
このあたりを意識して使っていきたいと思う。

誤字脱字を何とかしたい

wordpressについて調べるためにいろんなサイトを回っている。
買った本に書いてあるモジュールの評判を調べてみたり、新しい情報を探してみたりとさまざまだが、そうしていると誤字に気づくことがある。
別に意味さえ通じていればそんな細かいところを突かなくてもいいだろうとは書き手側として思うのだが、一読者として読むと結構気になる。
自分としても内容はどうにもならないとしても、せめて誤字はなくそうと常々心がけているのだが、やはり自分で書いた文章だとしっかり読み直しているつもりなのに、部分部分を飛ばしてしまっていることが良くあるようだ。

そこで最近試しているのが、読み上げソフト。
とりあえず、全文を書き上げた後コピーして読ませてみる。
そこまで調整しているわけではないので、時折漢字の読み間違いが混ざるが、それ以外は結構しっかりと読み上げてくれる。
そして見つかる誤字の数々。
「について」という文字を二回繰り返していたり、「か」が「が」に濁っていたりと気がついてみると、どうして見逃していたんだそんなところ、という部分のオンパレード。
基本的に書き上げた記事については何度か読み返した上でアップしているつもりだったがまだまだチェックが足りていないようだ。
この方法を試みているのはここ数件の記事なので、それ以前のものに関しては未知数、という訳で読ませてみようかとも思ったが、誤字の山があふれ出してきそうで怖い。
今度心に余裕があるときに試してみようと思う。

カードゲームの話

近場のショッピングモール的なところに買い物に行った。
特に欲しいものがあるわけでもなくぶらぶらしていると、おもちゃ売り場でワゴンセールを発見。
見てみると、某有名ソシャゲーのカードゲームが安売りしていたので試しに購入。
まだ封も開けていないそれについてはいつか扱うとして、その時に思い出したことがあったのでそれを書いてみる。

小学生のころ対戦型カードゲームがブームだった時期がある。
学校にまで持ち込んで、人のいない視聴覚室あたりを狙って放課後に遊んでいる奴もいたし、おそらく何かの遠足的なものだと思うがその電車移動中、わざわざビニールシートを広げてその上で友達と対戦に興じたりしていた。
今思い起こすと周りの何の興味も無い同級生はさぞ迷惑だったことだろう。
それと平行して自分たちの狭い間で流行っていたことに遠距離への遠出というものがあった。
自転車で野を越え橋を越え、とはいっても電車で一駅ほど隣へ行く。
当然、たいした目的も無いので行った先で何をするわけでもない。
大抵は行った先を適当に回ったところで時間が来て、帰るかー、となるのだが、その時は誰が言い出したのか思い出せないが行った先にあったスーパーで買い物しようという流れになった。
そしてそこで初めてカードのワゴンセールを見た。
当時、すでに日用雑貨などの安売りのワゴンというものは何度か目にしたことがあったが、そこに詰まれていたものは子供向けの商品、おまけに当時ブームのカードと来てテンションアップ。
さらにわざわざ遠出をして見つけたということもあり、宝物を発見したかのごとく狂喜乱舞し、すぐさま購入。
当然と言えば当然だが、ワゴンに入っているような地味なタイトルのものなのでその後、そのカードで遊んだ記憶は一切無いのだが、その当時はまさしく、遠い遠征先で獲物をしとめた狩人の気分で帰ったという記憶だけは今でも残っている。

そんなこともあり、今でもワゴンセールを見かけるとついテンションがあがってのぞきたくなってしまう。
特に子供向けの玩具のものだと値段を確認して、すげえなどといってみるが周りの反応は割りと冷ややかなのが悲しい。
正直言うと今日買ってきたカードが早くももてあまし気味なのだがそれについては後々。
たまには日記らしい、買い物してみた、という内容を書いてみました。

人の気持ちはわかりづらい

一晩で少し落ち着いてきたので普通に雑記。
今後はサイトのことについては控えめに触れていく感じにとどめようかと思う昨今でございます。

最近、地震の影響で某CMを見る機会が多くあるがそこで思ったことを書いてみる。
CMの内容自体は相手の気持ちを考えてみましょう、という道徳観あふれるものだったが実際問題、相手の立場になって考えるということができるのか。
このサイトを更新し始めてからはなるべく読みやすい文章になるよう心がけているつもりだ。
それには読者の気持ちになって本文を読み直してみるのが一番の方法なのだろうが、うまく出来た例がない。
何度読もうがそれは見慣れた自分の文章なので自分自身では理解できる。
けど、それがわかりやすい文章だからなのか、実際にはわかりにくい文章なのに自分だけが違和感を感じていないのかわからない。

それは文章だけに限った話ではないがいわゆる『わかる人』と『わからない人』というのはなんにでもいる。
わかる人にはわからないの人の気持ちがわからないし、逆もそうだと思う。
ただこれに関してはどちらが良くてどちらが悪いとははっきり言えないところが複雑。
たとえばこのサイトに関していえば文章を理解できる人がわかる人で、理解できない、読みづらいと感じる人がわからない人だといえるが、別にわからない人でもかまわないと思う。
ありとあらゆる物事に精通して万理すべてを理解できるなんて人はそうそういないだろう。
ましてやこんな辺境で雑記を書いている人の気持ちを読み取った上で文章を理解するなんて労力の無駄過ぎる。

同じように、と言っていいものなのか不安だが、物事にはわからないものが多くあると思う。
その最たるものが一般常識というものであるからして、もう基準などわからない。
相手の気持ちってどうなっているんだろう、と自分の中で考え始めた時点でそれには自分の主観が混じっているので完璧な相手の気持ちを知ることなんて誰も出来ないと思うのだが、どうだろうか。
それとも出来ないと思うことが、わからない人の思い込みなんだろうか。

新情報でふらふら

今やっているネットゲームで新システムが追加された。
それについて考えていたら脳がたゆんたゆんしてきたので、今現在の記録として文章に残してみることにした。

症状としては画面を見ていると徐々に頭がぼんやりしてきて若干熱っぽくなってくる。
頭が自然と左右に揺れたりしてきてそのころに、あ、なんかやばいと自覚し始めた。いわゆる考えすぎという奴なんだろうか。
けど不思議なことにwordpressについて勉強している時にはあまり感じない。英語のプラグイン導入やらテーマと格闘している間も頭はフル回転しているつもりだったがそういった症状になったことはなく、なるのは決まってネットゲーム中だ。
これがまさかネトゲー中毒だろうか。
しかし、全身熱っぽくなっている以外は実害がない。
気持ち悪い感じもしないし、前にも一度この状態になったがそのあと問題ないので後遺症もない感じ。
ここまで考えてみて知恵熱という単語が浮かんできた。
考えすぎちゃって、知恵熱出たよ。
なんて今の状態にぴったり合ってる気がした。
もし本当にそうなら人生初の知恵熱を学業もすっかり久しい今になって体験したことになる。
よく漫画などでは頭から湯気がてで来るなんて比喩表現がなされているがまさにそんな感じ。
頭から湧き出ているのは湯気ではなく、大量の汗だが。

せっかく珍しい状況になったので、思い切って現状を書き残してみた。ここまで書いているうちにだいぶ落ち着いてきてしまったので知恵熱らしきものもだいぶ冷めてきてしまったようだ。
原因もわからないが、何だか不思議な体験をした気がする。

本ってすげえ

とりあえず勉強用に買ったwordpressの本を読み終えた。
書籍名をはっきりあげないまま感想を述べるのもなんなのでふんわりとした雑感をつらつら。
始めに本を買おうと思ったときは実用半分、趣味半分でいまどきネットで調べれば解説してくれるんじゃね?と思いつつ読んでみるとこれが結構思い違いだった。
自分の場合、一通りサイトが見れるようになった段階で読み出したがそこまでの道筋を本で見直してみると、手順から抜け落ちていて割りと大切そうに見えるところがちらほら。
おそらくサイト構築の中、上級者には当然の知識なんだろうけどそのあたりも含めて情報量が半端ない。
もしかしたらしっかりと単語を上げて検索すればそういう細かい部分に触れたところもあるのかもしれないが、なにせそこにたどり着くワードにすら迷っている段階の自分にはとてもありがたかった。

本の大切さをまざまざと実感しつつもサイト構築自体はまだまだやるべきことが山積している。
今日も今日とて『All in One SEO』の設定をいじったり、セキュリティ対策の『Limit Login Attempts』を導入してみたりとプラグイン関連を変更中。
どちらも今現在ではあまり影響のないものなので見た目変化がないが後々役立ってくれると期待。

汚名挽回の話

最近wordpress 関連の話が多かったのでたまには雑記。
汚名挽回の話。

きっかけは『汚名挽回』について話を聞いたところから。
汚名挽回というと名誉挽回と汚名返上が混ざった誤用で有名なフレーズだが、調べてみると誤用ではなく正しいという意見もあるそうな。
挽回という言葉は『失ったものを取り返して元の状態に戻す』という意味であり、『汚名挽回』をばらして『汚名を受けてしまったものを挽回する』と解釈すると、受けた低評価を次の行動で高評価に戻す、という意味合いになって確かに正しく見える。

そこまでは日本語の使い方の話だが本題はそこから。
その人曰く、汚名挽回が日本語として正しいかどうかはさておき、挽回という言葉の意味合いそのものが気に食わないらしい。
先のとおり挽回は失ったものを取り戻すという意味がある。
ということは汚名を挽回すると言っている人は元々自分は汚名を受けるような人間ではない、という自負が見え隠れして嫌な感じがするそうな。
確かになーと思いつつもそこでちょっと疑問。
この挽回という言葉にあるマイナスイメージって何だろう。
言葉にはある程度後ろ向きな意味を持たされているものがある。
『する』と『される』だと前者は前向きなプラスのイメージ、後者は受動的な後ろ向きなところからマイナスのイメージを受けると思うがこの言葉自体にそんな意味はない。悪さする、諭されるみたいに文章として意味を持ってみるとどちらかの印象を受けるというのもわかるけど『挽回』についてはそれがない。
『失ったものを取り返して元の状態に戻す』という言葉から何を想像するのか。
話をしてくれた人は汚名を受けるべくして受けた人がそれを認めたがらない的なマイナスイメージを持っており、いったんは納得したが、改めて文章にしてみると、一度は落ちぶれたが目標に向かって努力する、のような前向きなイメージに見えなくもない。
もちろんそれは挽回という言葉の解釈、個人の感じ方にもよるのだろうがなんだろうか、このもやもや感。
別に何かされたわけでもないし、嫌な思い出もないのに悪い印象を持っているものがあったりする。
それが記憶によるものなのか何なのかわからないが、とりあえず汚名挽回については一度わざと使ってどや顔で解説してみたい。

wordpressの本(と他一件)を買ってみた

基本的な設定を一通り見てみて一息ついたところで
wordpressの理解をさらに深めるという建前の元、本を買いに行ってみた。

お勧め本のレビューやらサイトを参考に初心者向けの物を購入。
よーし更新するぞ、と思ったのもつかの間、近くにある数学の本に目が行く。
内容に触れていいものなのか微妙なので、冒頭部分を読んだ感じだけ書くと、

中学入試の算数おもしろ!

といった内容なのだが、ついつい買ってしまったこれに今嵌っている。
ノートに小学生向けの問題を書き込んでうなったり、だれたりする。
その視界の片隅にはwordpressの教本が見えたりしてるが、今日のところはサイトの調整は休憩ということで、以下雑記。

こういった調べれば何でも出てくる時代だからこそ出てくる専門書は結構楽しいので好きだ。
それも一般的には役に立てるのが難しいであろう本だとなおいい。
先の数学の専門書は計算という面からまだ役立つ機会も多くあるが、
過去に買った本からいくつか探してみると楽器の構造について詳しく書かれたものや、家紋とその歴史が書かれたものが見つかった。
どちらもおそらくはその道の専門家に向けて書かれた一品であると思われるが、あいにく楽器など久しく触っていないので、いくら金管楽器の構造と音の出し方を懇切丁寧に説明されても理解できないし、何とかの紋所はとある地方の何に由来し、などと書かれても、「ほう。」という他無い。
しかも何かを学びたい、という熱意もなく、ただなんとなく面白そうだからという理由で買っているからなおのこと悪い。
おそらくこの二冊は読み終わっていると思われるが、つい先ほど見つけるまで片方は買ったことすら忘れていた。今、楽器の構造と家紋についての問題を出されたとしても一問も答えられる自信が無い。
知識を得るわけでもなく、何かに生かすわけでもない。
本サイドとしてもこれほど読まれがいの無い相手もいないだろう。
こうして書いてみるとただただ本を無駄買いしているように見えるが不思議と本を買って後悔したことは無い。
中には始めの十数ページを読んでそのまま本棚行きでほこりをかぶっているものもあるが、それらも含めて本屋で見つけて、欲しいと感じた時の感覚が好きなのか、自分でもよくわからなくなっているが、とりあえずこの衝動買いは続けていきたいと思っている。