SFに魅せられる

シド・ミード展という原画展に行ってみた。
元々は某アニメのデザインを担当した工業デザイナーの人というくらいのイメージ。
個人的にそのアニメが好きだったということもあり、それに関する設定図でもいくつか見られればいいかなあ、くらいの簡単な気持ちで行ったのだが、
中に入ってみると一枚一枚に引き付けられ、魅了され、がっつり長時間楽しんでしまった。
なんだか少しSF熱というものが高まってしまったのでその時の気持ちを書き残しておきたいと思う。

公式はこちら。

シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019

2019年4月27日から、少し延長して6月2日までの期間限定展示会となっている。
細かい情報に関しては公式のほうが詳しいのでそちらを参照してもらうとして、会場を見ていった感想を述べていきたい。

世界感の圧

中に入ると、シド・ミードのプロフィール紹介とともに工業デザイナーとしての作品がいくつか展示されていたのだが、
そこで足が止まる。
何かのスケッチのようなものから車のデザインがメインのもの、未来の東京をイメージしたものなどテーマは多岐にわたるのだが、 とにかく一枚一枚の情報量がすさまじい。
いかにも近未来SF、といった感じの丸みを帯びた機械が描かれているのだが、デザインだけで終わるものはほとんどなく、大半が背景、人物など運用される情景が事細かに書き込まれているのだ。
未来カーのデザインというもの一つ見ても、まず最初に目に入るのは曲線系の車なのだが、それを取り巻く人、自然や建物がはっきりと描かれており、実際に運用されているような錯覚に陥る。
この人物はこうこうする立場で、運転手は、などと想像を膨らませていると、マシンの曲線に反射して映る情景にキャンパス内に写りこんでいない自分の視点から見て背面の部分までもが映し出されていることに気づき、さらに世界観の広がりを感じる。
中で上映されていた映画製作の裏側でも語っていたが、このデザインだけにとどまらない、世界観まで一緒に作り上げていくという手法が本来存在しないものを、あたかもそこにあるのではないかと思わせるような説得力を生み出しているように感じた。

SFというもの

現実味があるのは現代的な工業デザインにとどまっていない。
展示されている原画の大半は異世界、いわゆるSFに出てくる別の惑星か一つ文明の変わってしまった未来の地球といった感じの既存とかけ離れた物なのだが、それら一つ一つにも細かい設定、背景を感じられる書き込みがなされており、機械の写実的な見た目も伴って本当にそこにあるのではないかというリアルさを感じる。
しかもそれらがどれも古臭くない。
作品は1973年作などのかなり前のものも含まれているのだが、いわゆる昔の人が考えた未来の地球、みたいなコテコテの未来感はなく、独特の世界、未来が表現されている。
それらの独創性とリアリティが両立しているということがすごいと思う。
自分でSFという異世界を考えるときには見た目は装飾できても、どうしても根っこのところでは既存の常識、感性にとらわれていて、出来上がってみると別の惑星のはずなのに、地球のどこかにありそうな普通のものに落ち着いてしまうことが多々ある。
それゆえに割とぶっ飛んだ設定を付け加えてみたり、変な情景を追加してみたり工夫してみるのだが、そうすると現実味が薄れていく。
この原画展の作品を見ると、まず最初に思うのが現実じゃないという点だ。
使っている機械、文明、服装どれをとっても独特で異文明といった作り。
にもかかわらずそこに存在するという確かなものを感じる。
実写映画のワンシーンのようにそこに歩いたり、乗り物に乗り込んでみたりする姿が容易に想像できる。
とまあ、美的センスのほとんどない人があれこれ妄想しつつ、長時間楽しみました、というまとめ。

設定の積み重ねたるや

その後映画、アニメの原画を見て行って一周。
ここでも世界の中にある機械デザインという手法は変わっておらず、機械のみが描かれているのは最後のMS周りくらい。
ここに関しても上映されていた映像を見たりスケッチの流れを見るにおそらく何らかの独自の世界観があったうえで書かれたりしているんだろうなあと思ってしまったり。
その直前では某宇宙戦艦の設計図が大きく張られていたのだが、やはり注目してしまうのがその細かい情報量。
全体は線画で書かれているのだが、
談話室か、ミーティングルームのようなところには人が集まっていたり、各所をつなぐエレベーターには乗り込んだ人が腰を落ち着かせている様子。
先頭近くでは甲板に上がっている人が描写されているなど、
設計図の図面でありながら人が各所に配置され、どのように運用されているのかという設定が見えてくるような仕組みになっている。
船体の構造だけをとってみても、ここってここまで作りこまれているけど作品内で映るシーンあるんだろうかとか思ってしまう部分もあるのだが、そうした触れられることのない、本来ならカットしても問題ないように思えてしまう、鏡面への映り込みのようなものの積み重ねが作品としての現実感を増していくような要素になるんだろうかと思いをはせてみたり。

改めて見直してみて、やっぱりSFというものに引き付けられているなあとは感じた。
非現実であったり未体験の事象であったり、新しいものを見るのって面白い。
しかしながら同時に現実的な視点、感覚をもってそれらに対して触れてしまうという面を持っているので、あまりに現実味のないものであったり、理解に苦しむものであったりするとこんなものありえない、理解できないと拒絶反応が出たりする。
シド・ミード展にあるSF感はそのあたりのバランスが自分に合っていたと思う。
非現実という確立した別世界がそこにあり、さらにちりばめられた情報量と設計によって説得力を持った空間としてとらえることが出来る。
絵を見ているだけで、実際にその中に行われているであろうストーリーが見えてくるような感覚が楽しめた要因なのではないかと推測してみたり。

たぶん感覚的に言うと洋画の吹き替えで聞きなれない声優だと普通に聞けるのに、有名俳優とかが元のキャラ全開で演技されると途端に入り込めなくなることがあるというあれ。
なんか違う気もするが。

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