吠える犬の論理パズルに全力で取り組んでみた

大人のための名作パズル(新潮新書)

を読んでみた。
本書は様々なパズルの形式を紹介しつつ、カテゴリーに分かれたパズルを実際に出題という構成になっている。
どちらかというとパズルとその解説のほうがメインで形式の説明についてはパズルの間の小休憩といった感じなのだが、その按配がちょうど良く読みやすい。
こういう数学的なパズルは結構好きなのだがなにぶん自分は頭の固い人間なので、少し難しいパズルに当たるとさっぱり理解できない。
しかし、本書の場合パズルの解説に多く分量を割いているため、問題がさっぱりわからないという人でも、一種の解説書として楽しむことができる。

と、レビューの練習的なことをしつつ本題。
意気揚々と読み始めて一番最初の問題で早くもずっこけた。
あまりの悔しさにその問題について考えていたら怖くなってきた話。
ネタバレ気味になってしまうが、元々が有名なパズル(一部オリジナル含む)とのことなのでできればみんなにも同じ気分を味わってもらいたく記載させていただいた。

「Q1 通行人は何人?
私の家の犬は神経質で、家の前を人が通ると吠え掛かります。時間を計ってみると、夜分に誰かが通ると20分間吠え続けます。ある夜、犬は3時間も吠え続けました。最小限、何人が通ったでしょうか?」

というもの。
とりあえず、一人当たり20分なんだから180分なら九人だろ、と解答を見てみると、案の定はずれで正解は一人。
一人で行ったり来たりすれば何時間でもいける、だそう。
それに対して延べ人数じゃねえのかよ、思っていると、続いて解答例として学生の意見が紹介されていた。
曰く、
犬が三時間も吠え続けられるわけがない。
別に行ったり来たりしなくても、その場で立って入れば犬は吠え続ける。
それぞれ常識的、合理的と褒められて、なるほどなーと思いつつ少し想像してみると怖くなってきた。
犬が外に向かっているのだから、家は一軒家だろう。
ブロック塀と家との間に犬小屋があり、そこの近くにつながれている犬。
ちょうどブロック塀の途切れた境にある玄関口は鉄製の門で閉ざされているが、そこで三時間近い時間、棒立ちの男。
そりゃ、犬だって体力の限界を超えて吠え続けるだろう。
家の前に来て、犬に吠えられるという状況で男は何をしていたのだろうか。とりあえず自分だったら吠えられた瞬間、足早に立ち去ると思うが。
おまけに問題では夜分、さらに吠え続けました、と過去形なのでおそらくこの男は最終的に家に尋ねてきたわけでもなく、ただ去っていく。

論理パズルにありがちなありえない前提、という奴なのだろうけど割と本気で怖くなってきたので、何とかこの状況をごまかせる解答をひねりだしたい。
男は街灯工事のおじさんだった。どうだろうか。
想像内では家は住宅街の寂れた路地裏にあり、街灯も点いたり消えたりという状況、偶然その家の前の街灯がそんな状態で、陳情を受けた市が。
いや、そういう工事は夜はやらないだろう。
ならば、実は相手は人でなかったとしたらどうだろうか。
幽霊、では怖さがマッハなのでその日は実は強風が吹いていて、偶然飛んできた雨合羽が入り口の門に引っかかる。
うまい具合に引っかかった雨合羽は風に揺られて人が動いているよう。
それを犬小屋の中から見かけた犬が見間違えてワンワン。
数時間後、再び雨合羽は宙へ、あるいはようやく犬が勘違いに気づいた、というのはどうだろうか。正解は0人。通りかかった人なんて始めからいなかった。

だいぶ無理な前提を置いた気もしなくは無いが何とか男の脅威は去った気がする。
頭が柔らかくなるかどうかはさておき、たまにはこんなパズルはどうだろうか。

ちまちま準備中

本のレビューというのをしてみようと思いたち、ちまちま準備中。
後サイトの見た目ももうちょっと変更したい、合わせてスタイルシートの勉強もしたいし、こないだ買ったゲームに本腰入れてやりたい、スマホゲーが今イベント中ー。
など軌道に乗ってきたのかやりたいことが増えてきた。後半は関係ないけど。
これから先必要になりそうと思い外部リンクについてちょっと確認。

無断リンク(Wikipedia)

外部リンクについて調べていたら一番に出てきたのがここだったので参照。ここによると基本的に相手方に損害を与えるような真似をしなければリンクを張るという行為自体は大丈夫そう。
そこから先にSEO関連の問題もあるようなのでもう少し調べてみたい。
リンク先に使われるであろう商品名等については前に調べた著作権、商標権に関しての記事があるのでそっちも注意していきたいところ。

冒険心

リアル脱出ゲームに挑戦してみた。
とは言っても広い会場とか遊園地とかでイベント開催されているものではなく、本の話。
内容は本書内の説明書に書かれているとおり、ゲームブックそのものだが、付録に新聞やら地図やら含まれていてリアル脱出ゲームっぽい。とりあえず、一探偵として怪しい村に出かけることとなったわけだが、おどろおどろしい雰囲気を楽しんでいたら昔、迷子になった時のことを思い出したので今回はそちらの件について。

買い物等していると知らない道を通りたくなることがたまにある。
理由はその当時でまちまちだったと思うが、そんな時はたいてい目印になりそうな建物を確認して、頭の中で地図を描いてみる。
この道は隣の大通りと平行しているはずだから道なりに進めば大丈夫、電車の高架があそこに見えているからこの道をまっすぐ、といった感じに目測をつけていつもの道を外れてみる。
その推測が当たっていれば問題ないが、時折はずしにはずして迷子になるときがあった。
今でこそスマホで調べれば一発で現在地が把握できるが、当時連絡手段もないとあって、それはもう慌てる。
それなりの大通りに当たれば幸いだが、そこが入り組んだ住宅地となるとお手上げ。
来た道をそのまま戻れればいいが、前を向いても、振り返っても知らない道に不安感がどっと押し寄せる。

と、ここまでざっと思い出したままの雑感を書いてみたが実はそんな時に何を考えて、何をしたか、というあたりについてはあまり覚えていない。
覚えているだけでも数回知り合いに助けを求めるレベルの迷子になっているはずだが、よほど慌てていたのか、それとも思い出したくないトラウマなのか、新しいなぞが増えてしまった。
ともあれこれ以上突っつくと本当に何か変なものが出てきそうなのでここまで、ということで、怪しい村へ逃げ込みたいと思う。

YARPPの位置を変えてみた

サイトの関連記事を出してくれるYARPPは設定が簡単で、見た目に面白そうだったので初めのほうに導入したが、

挿入する位置を自由に決められる

らしいということで、やってみたところ、なぜかスタイルシートとの激闘が待っていた。

関連記事の表示場所を初期設定から手動に切り替える

  1. 設定→YARPPを選択
  2. 表示設定の一番上にある投稿、固定ページ、メディアのチェックボックスをすべてはずす
  3. 一番下の設定保存

以上の手順で初期設定で表示されていた関連記事の項目が消えた。
続いて関連記事を表示させたい場所に挿入する手順だが、

表示させたいところに”related_posts();”と書き込む、以上。

複数の解説ページで同じような記述がされていて、またまたーそんな簡単なわけないだろう、とか思いつつも、「テーマの編集」から個別投稿のページに書いてみると、なんと普通に表示された。
すげー、と感心するのもつかの間、問題発生。
関連記事項目が表示されているのはいいが、なんだかやけに左詰め、というかどう見てもスタイルシートの中央寄せが適応されていない。
というわけでいろいろ試してみたので以下やったことの記録。

該当ページでソースを確認
今回は個別の記事内での関連記事についてなので、リンクが張ってあるところを探してみると、”yarpp-related”と言うクラス名を発見。
これの中央寄せが他とずれているのでこうなっているようだ。

現在使っているテーマのスタイルシートを確認
「テーマの編集」で現状使っているテーマを見て、”page-content”に横幅の指定と中央寄せが書いてあったので丸ごとコピー。

CSSにYARPP用のスタイルを作成
同じく「テーマの編集」のスタイルシートに”yarpp-related”クラスを作成、先ほどコピーしたものを貼り付けて完成。

これだけ見るとびっくりするほど簡単そうだが、それぞれの項目にたどり着くまで、方々で知恵を借りることとなった。
スタイルシートについてちょっと勉強したいなー。
と、正直改めて見直してみると書くまでもない内容の話だったが、なんか予想外に手間取ったので、カッとなって記事にしてしまった、申し訳ない。

雰囲気の話

雰囲気の読み方について思ったことをつらつら。
今回あえて詳しく下調べせずに直感だけで考えてみよう、
ということで多少間違った部分が混ざるかもしれないけどご容赦いただきたい。
「ふいんき」は「ふんいき」の読み間違いである。
という認識だと思うが、正しいのだろうか。
もちろん、某有名コピペのように「ふいんき」では雰囲気に変換できないということは明白。
感じの読みでも 雰 囲気 と「ふんいき」としか読めない形ではある。
が、読み仮名はより話しやすいほうに変化していくもの。
「すみません」という言葉はしばしば「すいません」と発音するが、意味自体は同じく捉えられている。
なら同じように「ふいんき」がより発音として話しやすいものなら字は雰囲気、読みはふいんきでも許されるのではないか。

ここで問題となるのが、「ふんいき」って発音しづらいのか、という点。
雰囲気の読み間違いが話題になったのはだいぶ前の話なので、それを聞いて以来、「ふんいき」という言い方を心がけてみた時期があったが、意識して話してみるとあまり言いづらくはない。
文章で書くときには「雰囲気」と書くのが定着しているし、「ふんいき」だろうと「ふいんき」だろうと意味は通じる。
ひょっとしてどっちでもいいんでない?
考えてみれば先にあげた「すみません」についても、しっかりと「すみません」と発音している人もいるし「すいません」が口語として定着している今も、「すみません」を「すいません」に表記を変えようなんて動きも無い。
とすると、「雰囲気」も「ふんいき」、「ふいんき」どっちでも良いって流れになりそうなところ。
でも実際は読み間違いの上位としてよく耳にする。
「い」と「ん」がひっくり返っているところに強い誤字っぽさを感じるからだろうか。
許されている現代語と許されない誤用、脱字の境界線ってどのあたりにあるのか気になってきた。

著作権と商標権について

前々からやろうと思っていたSEO対策というのをしてみた。
例によって詳しい中身は触れないがあちこち登録したり、更新したりと大慌て。
その甲斐あってというのもおこがましい話だがとりあえず本の内容も一通りこなして、めでたく記事書きに集中できる環境となった、はず。

これからいろんなことに触れたり考えたりしたいわけだが、そのときに気になるのが著作権の話。
人様のサイトに飾ってある絵を無断で持ってくるのは当然アウトだと思うが、よくあるフリー素材でもサイトに載せるのはどうなんだろう。
利用規約に細かくここまでオーケーと書かれていれば別なんだろうけどと気になったのでいろいろ調べてみた。
本当は引用って形でいろいろリンクを張るべきなんだろうけどそこについても現状不明瞭なので省く。

著作権
画像やら文章、映像すべてを保護している大本。
なので基本的に人が作ったものに関しては無断利用は禁止されている。自身で用意することができないなどどうしても使いたい場合は作者本人に許可を取るか、フリー素材を探してきて、そこの利用条件にしたがって使う必要がある。

商標権
記事上で商品名等を出して使うのはこっちらしい。
主に商売上などで類似品を防ぐための権利だが、ネット上で扱う際に気をつけるのは『その商品のイメージについて損害を与えないか』についてらしい。

商標権については結構どう扱っていいものか困っていたのだが、調べてみた範囲ではどうやら企業名とか名前を出してあれこれ書くくらいは許されているようだ。
もちろんひたすら悪く書いてイメージを下げるとか、別の商売に利用するとか悪意がある場合は別途問題が発生するようだが、個人ブログで使用する程度は問題なさそう。

リンクに関しては特に規定は無いものの、参考程度でも張るべき、いたずらに張るべきじゃない、許可とれ、等まぎれていて判別に困るところ。
ともあれ、大雑把にまとめると人が作ったものは基本無断利用不可、名前に関しては常識的な範囲で使っても良い、というところだろうか。
このあたりを意識して使っていきたいと思う。

誤字脱字を何とかしたい

wordpressについて調べるためにいろんなサイトを回っている。
買った本に書いてあるモジュールの評判を調べてみたり、新しい情報を探してみたりとさまざまだが、そうしていると誤字に気づくことがある。
別に意味さえ通じていればそんな細かいところを突かなくてもいいだろうとは書き手側として思うのだが、一読者として読むと結構気になる。
自分としても内容はどうにもならないとしても、せめて誤字はなくそうと常々心がけているのだが、やはり自分で書いた文章だとしっかり読み直しているつもりなのに、部分部分を飛ばしてしまっていることが良くあるようだ。

そこで最近試しているのが、読み上げソフト。
とりあえず、全文を書き上げた後コピーして読ませてみる。
そこまで調整しているわけではないので、時折漢字の読み間違いが混ざるが、それ以外は結構しっかりと読み上げてくれる。
そして見つかる誤字の数々。
「について」という文字を二回繰り返していたり、「か」が「が」に濁っていたりと気がついてみると、どうして見逃していたんだそんなところ、という部分のオンパレード。
基本的に書き上げた記事については何度か読み返した上でアップしているつもりだったがまだまだチェックが足りていないようだ。
この方法を試みているのはここ数件の記事なので、それ以前のものに関しては未知数、という訳で読ませてみようかとも思ったが、誤字の山があふれ出してきそうで怖い。
今度心に余裕があるときに試してみようと思う。

カードゲームの話

近場のショッピングモール的なところに買い物に行った。
特に欲しいものがあるわけでもなくぶらぶらしていると、おもちゃ売り場でワゴンセールを発見。
見てみると、某有名ソシャゲーのカードゲームが安売りしていたので試しに購入。
まだ封も開けていないそれについてはいつか扱うとして、その時に思い出したことがあったのでそれを書いてみる。

小学生のころ対戦型カードゲームがブームだった時期がある。
学校にまで持ち込んで、人のいない視聴覚室あたりを狙って放課後に遊んでいる奴もいたし、おそらく何かの遠足的なものだと思うがその電車移動中、わざわざビニールシートを広げてその上で友達と対戦に興じたりしていた。
今思い起こすと周りの何の興味も無い同級生はさぞ迷惑だったことだろう。
それと平行して自分たちの狭い間で流行っていたことに遠距離への遠出というものがあった。
自転車で野を越え橋を越え、とはいっても電車で一駅ほど隣へ行く。
当然、たいした目的も無いので行った先で何をするわけでもない。
大抵は行った先を適当に回ったところで時間が来て、帰るかー、となるのだが、その時は誰が言い出したのか思い出せないが行った先にあったスーパーで買い物しようという流れになった。
そしてそこで初めてカードのワゴンセールを見た。
当時、すでに日用雑貨などの安売りのワゴンというものは何度か目にしたことがあったが、そこに詰まれていたものは子供向けの商品、おまけに当時ブームのカードと来てテンションアップ。
さらにわざわざ遠出をして見つけたということもあり、宝物を発見したかのごとく狂喜乱舞し、すぐさま購入。
当然と言えば当然だが、ワゴンに入っているような地味なタイトルのものなのでその後、そのカードで遊んだ記憶は一切無いのだが、その当時はまさしく、遠い遠征先で獲物をしとめた狩人の気分で帰ったという記憶だけは今でも残っている。

そんなこともあり、今でもワゴンセールを見かけるとついテンションがあがってのぞきたくなってしまう。
特に子供向けの玩具のものだと値段を確認して、すげえなどといってみるが周りの反応は割りと冷ややかなのが悲しい。
正直言うと今日買ってきたカードが早くももてあまし気味なのだがそれについては後々。
たまには日記らしい、買い物してみた、という内容を書いてみました。

人の気持ちはわかりづらい

一晩で少し落ち着いてきたので普通に雑記。
今後はサイトのことについては控えめに触れていく感じにとどめようかと思う昨今でございます。

最近、地震の影響で某CMを見る機会が多くあるがそこで思ったことを書いてみる。
CMの内容自体は相手の気持ちを考えてみましょう、という道徳観あふれるものだったが実際問題、相手の立場になって考えるということができるのか。
このサイトを更新し始めてからはなるべく読みやすい文章になるよう心がけているつもりだ。
それには読者の気持ちになって本文を読み直してみるのが一番の方法なのだろうが、うまく出来た例がない。
何度読もうがそれは見慣れた自分の文章なので自分自身では理解できる。
けど、それがわかりやすい文章だからなのか、実際にはわかりにくい文章なのに自分だけが違和感を感じていないのかわからない。

それは文章だけに限った話ではないがいわゆる『わかる人』と『わからない人』というのはなんにでもいる。
わかる人にはわからないの人の気持ちがわからないし、逆もそうだと思う。
ただこれに関してはどちらが良くてどちらが悪いとははっきり言えないところが複雑。
たとえばこのサイトに関していえば文章を理解できる人がわかる人で、理解できない、読みづらいと感じる人がわからない人だといえるが、別にわからない人でもかまわないと思う。
ありとあらゆる物事に精通して万理すべてを理解できるなんて人はそうそういないだろう。
ましてやこんな辺境で雑記を書いている人の気持ちを読み取った上で文章を理解するなんて労力の無駄過ぎる。

同じように、と言っていいものなのか不安だが、物事にはわからないものが多くあると思う。
その最たるものが一般常識というものであるからして、もう基準などわからない。
相手の気持ちってどうなっているんだろう、と自分の中で考え始めた時点でそれには自分の主観が混じっているので完璧な相手の気持ちを知ることなんて誰も出来ないと思うのだが、どうだろうか。
それとも出来ないと思うことが、わからない人の思い込みなんだろうか。