人の気持ちはわかりづらい

一晩で少し落ち着いてきたので普通に雑記。
今後はサイトのことについては控えめに触れていく感じにとどめようかと思う昨今でございます。

最近、地震の影響で某CMを見る機会が多くあるがそこで思ったことを書いてみる。
CMの内容自体は相手の気持ちを考えてみましょう、という道徳観あふれるものだったが実際問題、相手の立場になって考えるということができるのか。
このサイトを更新し始めてからはなるべく読みやすい文章になるよう心がけているつもりだ。
それには読者の気持ちになって本文を読み直してみるのが一番の方法なのだろうが、うまく出来た例がない。
何度読もうがそれは見慣れた自分の文章なので自分自身では理解できる。
けど、それがわかりやすい文章だからなのか、実際にはわかりにくい文章なのに自分だけが違和感を感じていないのかわからない。

それは文章だけに限った話ではないがいわゆる『わかる人』と『わからない人』というのはなんにでもいる。
わかる人にはわからないの人の気持ちがわからないし、逆もそうだと思う。
ただこれに関してはどちらが良くてどちらが悪いとははっきり言えないところが複雑。
たとえばこのサイトに関していえば文章を理解できる人がわかる人で、理解できない、読みづらいと感じる人がわからない人だといえるが、別にわからない人でもかまわないと思う。
ありとあらゆる物事に精通して万理すべてを理解できるなんて人はそうそういないだろう。
ましてやこんな辺境で雑記を書いている人の気持ちを読み取った上で文章を理解するなんて労力の無駄過ぎる。

同じように、と言っていいものなのか不安だが、物事にはわからないものが多くあると思う。
その最たるものが一般常識というものであるからして、もう基準などわからない。
相手の気持ちってどうなっているんだろう、と自分の中で考え始めた時点でそれには自分の主観が混じっているので完璧な相手の気持ちを知ることなんて誰も出来ないと思うのだが、どうだろうか。
それとも出来ないと思うことが、わからない人の思い込みなんだろうか。